■ 虎渓山のパワースポット
 私たちが生きていくためには、それこそ四苦八苦の連続です。欲しい物が手に入らない、あるいは思い通りに物事が運ばないなどという苦は皆さん経験があるでしょう。 こういう苦は、貪りや怒りという煩悩が原因になっています。
 生きているものは動物でも植物でも同じですが、本能的に生き延びようとします。多治見のように暑いところでは、生きるために自然と涼しいところを求める。 涼しさが欲しいという煩悩が出ると、その反対側では思い通りに涼しさが手に入らない苦が出てしまいます。
 人間が生きていくためには水が必要です。川が流れ、大きな池があって滝が流れ落ちているような場所では、いつでも側に水があるという安心感があります。このような場所では喉の渇きや暑さ、そして生きのびようという本能が強く出てこなくなる。ですから生老病死などの四苦を和らげるパワースポットになります。
 私たちは商売繁盛や病気平癒などの祈願をよく行ってしまいます。これを仏教では現世利益(げんぜりやく)と呼び、現世における欲望が達成されることを期待する行為です。仏教では様々な欲望を始めとする煩悩を無くすことが必要とされますが、所願成就の祈祷が行われ、特定の病気や苦に対して効果が有るかの如く効能が示される仏像などが存在するのはなぜでしょう。
 ここでは様々な欲望に惑わされず、心の安らぎを求める人々にとってのパワースポットを、六波羅蜜に喩えてご紹介しています。
 ●びんづる様は忍辱のパワースポット
びんづる様  虎渓山の境内には「びんづる」様が祀られています。古来より身体の悪いところと同じ箇所をなでると治ると信じられており、「なで仏」として信仰されています。しかし石造りのびんづる様に、苦痛の「痛」を和らげる力などありません。そして「痛」を和らげるのはお医者様であり、薬の役目なのです。びんづる様は苦を和らげることを専門とされていますが、そのメカニズムはどうなっているのでしょう。  病気を治す為には、お医者様や薬にだけ頼るのではなく、自身が生まれた時から持っている生き延びようとする力も必要です。そして病気と対峙し、時に共生を受け容れる心を持つこと(忍辱)が必要です。忍辱(にんにく)とは悟りに至るための修行徳目である六波羅蜜の一つで、堪え忍ぶことです。身に降りかかるあらゆる災難に耐え忍び、怒りや欲の心を起こさないように堪え忍ぶというものです。  屋根もない屋外で、風雨に耐えながら多くの人々と苦を分かち合っているびんづる様は、私たちに忍辱を示されています。びんづる様にお参りする時は、欲のお願いをするのではなく、忍辱精進を誓う場所であるということを思い出して下さい。そうすれば欲の無い方にとっては強力なパワースポットになります。
 ●龍浮淵は持戒のパワースポット
龍浮淵  龍浮淵(りょうふえん)という場所があることをご存じでしょうか。その昔、町の衆が結婚式などで多くのお膳などが必要になった時、「何日にお膳を幾つ貸して下さい」と紙に書き龍浮淵に流すと、当日には龍神様が河岸に揃えてくれるという伝説があります。龍浮淵が良夫縁とか良婦縁につながるということから、「良い伴侶に巡り会いますように」と紙に書き、流している人々もあるようです。龍神様に借りたお膳は、綺麗に洗って全て返却するのがルールです。あるとき、お椀を一つ返さなかったばかりに、その村の衆が次にお膳を借りようと紙に書いて流しても、貸してもらえなかったとのことです。幾ら「良い伴侶」を求めて紙を流しても、良き伴侶を得る為には、自分が家庭内での戒めを保持し続ける(持戒)心がけが必要です。これができる人にとっては、龍浮淵は良夫(婦)縁としてのパワースポットとなります。
 ●六角堂の千体地蔵は精進のパワースポット
六角堂  梵音岩の上に建てられた六角堂内には多くのお地蔵様が祀られています。これらのお地蔵様は、様々な願を掛けるために一体を借り受け、願が成就した時に同じ地蔵を自分で彫り、二体にして返却されたことにより千体近くにもなりました。全てのお地蔵様が満願成就に関わられた方ばかりですが、全ての人々に効果があるというものではありません。願いを叶える為には、自らが願いを叶える努力をすること(精進)が大切です。あらゆる苦難に立ち向かって生きようとする努力、精魂込めてひたすら進もうとする心構えをを持った人にだけ、六角堂の千体地蔵は強力なスピリチュアル・パワースポットとなります。
 ●瑞霊岩は禅定のパワースポット
瑞霊岩   古来より天狗岩と呼ばれている瑞霊岩は、天に向かって積み上げたような奇岩です。何千年もの風雪に耐え、不動に佇んでいます。麓には小さな社があり、そこには戦争から生還した人々の感謝を表す木札が祀られています。  私たちが生きていく為には、四苦八苦の連続です。生老病死の苦は誰しもが避けて通ることなどできません。しかし誰しもが健康に歳を重ね、平穏な家庭がいつまでも続くことを願います。雪の如く移りゆく諸縁を留め、風の如く去来する諸縁を追いやる心は煩悩によって生じ、やがて自らの浄寂な心の礎をも崩落させてしまいます。煩悩の束縛から解き放たれる為には、瑞霊岩同様、万事に揺るぎない自己を形成すること(禅定)が必要です。  地震風雪という煩悩に惑わされず、迷いのない清浄な心を持ち、私たちが万物によって生かされているという感謝の心を持った人々にとって、瑞霊巌はパワースポットになります。
 ●馬頭観音は布施のパワースポット
馬頭観音  庭園から虎渓公園に向かって三笑橋を渡り、すぐ右手の山中に馬頭観音様が祀られています。  煩悩を馬のように食い尽くす、あるいは車馬の守り神のような存在として信仰されてきました。現代では馬車の代わりに自動車になりますが、交通安全の基本は布施行です。優しいまなざし(慈眼施・和顔施)ゆずりあいの心(心施・身施)という無財の七施を持ち合わせる心がけが必要です。馬頭観音は憤怒の形相をされ、私たちの貪り怒りという心を戒めておられます。禅語に「平常心是道」というのがありますが、馬頭観音は自身の心を見つめ直すためのパワースポットなのです。
 ●禅堂は智慧のパワースポット
禅堂  私たちの禅宗は坐禅によって釈迦と同じ悟りに至ることを宗旨としています。禅堂内に祀られる文殊菩薩は、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざにもあるように、悟りに至るための智慧(諸行無常の道理を洞察する力)に優れているとされます。学業のみならず、あらゆることを成就させる為には、自らが理を学ぶこと(智慧)が必要です。