■ 開山仏徳禅師

仏徳禅師坐像
 開山仏徳禅師(元翁本元)は弘安4年(1281)三河設楽郡大草(新城市)の出身とされ、 14歳頃に出家し、鎌倉の東勝寺で無及和尚に就かれたと考えられています。この無及和尚は中国僧の蘭渓道隆の弟子で、 自身も入宗して無学祖元和尚(仏光国師)に就かれた方であり、永仁3年(1295)には夢窓疎石も無及和尚に参じておられました。 その後元翁本元は兄弟子の夢窓疎石と行動を共にされることが多く、来朝した中国僧の一山一寧や 後嵯峨天皇の第二皇子であった高峰顕日に師事され、印可を受けられました。  正和2年(1313)仏徳禅師は甲斐の浄居寺に赴かれ、同寺に住持していた夢窓疎石とともに元翁本元の故郷を経由して 美濃の長瀬山に来られました。正和5年(1316)夢窓疎石は長瀬山を出られ、元翁本元が居住しました。


仏徳禅師遺偈
 正中2年(1325)夢窓疎石は後醍醐天皇の命により南禅寺に入られることになり、元翁本元も夢窓疎石に伴われ、 南禅寺に正的庵を設けられました。元徳元年(1329)49歳で後醍醐天皇の命に南禅寺11世住持となり、 3年後の元徳3年(1332)旧7月4日51歳で示寂されました。
 左の遺偈には「去不去 留不留 月西沈 水東流 瞎驢不會 普化直綴 一鐸聲盡 碧天悠々 喝一喝」とあります。